この度の東日本震災では津波もさることながら、マグニチュード7という地震による被害も見逃せない。
仙台市が誇る仙台市北部の鶴ヶ谷市営住宅団地、一生涯安心して暮らせる地と思い購入し、マイホームを建てたはずだった。3,11は我家のみか近隣宅地、道路も液状化と地盤沈下で大半の大被害を被った。
1日1日と変形して行く我が家、内外とも壁材はヒビ割れハツれで、建具は用を果たさない。基礎から本体はズレてしまっていた。
が、何十年の歴史が刻み込まれたこの我が家をそう簡単には処理出来ない。苦渋の選択の結果、親御さんから頂いていた実家のあった市内の土地に移り住もうと決断。
そして出来たのがこの家です。
市内の業者さんは手一杯で見向いてもくれない状況下、繋がりの有った山形の建築業者さんに依頼発注できた。
資材、下請け業者が見出せない中、妥協と辛抱と夢実現に向かっての三身一体での永~い戦いの末、皆で掴んだ新居。
バリアフリーは元より、丈夫で堅固な、且つ、あの膨大な収納物をクリアすべくの、使い勝手の良いエンドレス動線を創意工夫した建築設計図をもとに、かなりの諸要望を組み入れてのお住まいに作ったものです。
家つくりはかく有りなんと思う。見た目格好良く、住み手より設計者の意図表現に走る住いつくりは自分には出来ない。
諸条件の中、お施主さん方の諸要望をにいかに組み入れ表現させえるか、設計者に問われるところです。
そんなところを踏ん張った作品です。