お盆に想う

2010年8月12日 (木)   ≪ トップページへ ≫

我が家の菩提寺は釜石にある石応寺。墓守りの立場になり
毎年釜石参りをしていたが、ややもすると不義理をしがちに
なり、仙台の286号線沿いの三女高隣の福聚院に自前の
墓を造り、祖父母、両親、兄弟の分骨をし、福聚院さんの檀
家と相成った。そこで
今年初めてお寺の総会と盂蘭盆会というものに参加した。
盂蘭盆とは逆さ吊りとも死者の霊魂をまつるお祭りともいわ
れておるそうですが、老老男女あんな暑いさ中、本当に大
勢見えており、たくさん良い話を聞きました。

日本人の文化の特徴は曖昧模糊としているところなそうで、
相手の心を重んじるが故、ノーと言う事が出来ない文化とか。
何にでも手を合わせる神道とか民間信仰が仏教と融合した
という日本独特の宗教感。お盆の習慣も<このスバラシイ大
らかな日本の独特の仏教思想のものとか。

動物は悩まない、人間だけなそうだ、悩むのは。
それは、なぜかという言葉で考えるからなそうで、言葉で考
えなければ悩む事は何もないとか。
人様と比べなければ何ら、なぜの問いも出ないのでしょうに。

8月7日満68歳の誕生日を迎えました。
様々な方からひーちゃんおめでとうの祝言を受け、嬉しく、有
難い半面もうそんな齢か~、さてこれからはどんな人生を歩
むべきか、ウウウ~ンと考えさせられております。
事務所、お店等は若い人達に支えられ、まだまだ現役を続
けられる体制は出来ておるが、自分を頼りにしている人がい
る限りは何とかそれらに応えるられるよう、健康管理に気を
付けしなければいけない。

我が母は90歳までそんな存在だった。
改めてそのスゴさを感じる。
60にして息子に自分の家業を譲り、家庭に入ったとたん相
方の病気看護、68歳にしてその夫を見送り、初めて自分と
いう世界を得た母、遊びも趣味も何も出来なかった。
手探りで旅行、趣味、余暇の過ごし方を覚え、友達をつくり、
スバラシイ余生を努力と頑張りで人様から尊敬と愛情を注が
れて生き切った母。
そんなスバラシイお手本があるのに、迷いと邪念だらけの己
の生き様をあたふたしているのが現在の私。

6年目のお盆、姪の第3子出産を真近に控え、どうぞ母子共
々の無事を祈念する日々と何とはなく落ち着きのない近々で
はあるがこの記録的な猛酷暑の連日、素っぴん汗たらたらで
一生懸命しています。
お盆という身も心もホッと一息つける大人の夏休み。
盆が明けるとまたまた出張続きとなる、アッと言う間に年の
瀬になるのでしょうね、今年もまた。

人と変に比較せず、楽しく今後を生けれるように、また、人様
とは良い交わりが保てるよう仕事、役割、興味、趣味等精一
杯元気しよう。
ボランティア精神と後継者育成、感激と感謝で出来るだけカッ
コ良い生き方をして行きたいものである。

明日からの盆に当っての随想でした。

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