『2011年5月12日』の記事

言葉が出ませんでした。

2011年5月12日 (木)

以前は毎日更新していたブログを
最近はなかなか更新出来ずにいます。

忙しいからという理由ではなく、
何を書いたらいいのかものすごく考えてしまうからです。

前回のブログ更新から1カ月ほどが過ぎました。

その間、仙台では
地下鉄が泉中央まで開通したり、
東北新幹線が全線開通したり、
復興のニュースが流れていましたが、
その裏側では
まだライフラインが完全ではなかったり、
オープン出来ない店舗があったり、
そして震災時にお亡くなりになった方とのお別れがあったり、
震災の影響が深く残っている部分もあります。

そのことを考えると、まだまだ胸が締め付けられるような
苦しい気持ちでいっぱいになります。
もちろん、このままではいけないということも
わかっているのですが、とてもとても複雑な気持ちで
日々を過ごしているのです。

GWに実家のあった場所へ行ってきました。

2カ月が過ぎようとしているのに、
まだほとんどが手つかずでそのままの状態でした。
作業のための砂利敷き道路が出来ていたものの、
まだ街のいたるところに船が転がっていて、
本当にここが陸の上なのかと、とてもショックを受けました。

地盤が下がってしまったらしく、水が引かないため、
流されてしまった我が家の物を探すこともできず、
変わり果てた場所にただただ立っていることしかできませんでした。
両親が助かったのも奇跡のように思えました。

家が流されてなくなって、
いままでの過去のものも全て無くなってしまって、
自分の体のなかが空っぽになったような
言葉でうまくあらわせませんがそんな感じでした。

震災直後は、しっかりしなきゃと自分に言い聞かせていましたが、
現地で実際に風景をみると、いったいどうしたらいいのか、
なにが出来るのかわからなくなってしまいました。

それでも復興しようと、前に進もうとしている人がたくさんいて、
実際にその場にいなかった自分が、
落ち込んでいてはいけないなぁと反省。
でも、受けた衝撃があまりにも大きかったので、
元気になるまでにはもう少し時間がかかりそうなのですが・・・。

2カ月が過ぎた今もココロが晴れずにいますが、
今出来ることをやっていくしかないんでしょうね。

気仙沼の写真を一部載せました。
次回帰省するときには、もう少し水がひいているといいのですが・・・

船で通行止め

船で通行止め

船をくぐって鹿折地区へ

船をくぐって鹿折地区へ

実家があった場所

実家があった場所