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緩んでいる?

2011年8月1日 (月)

今日から8月。

月末の慌ただしさから解放されて、今日はかなりボ~っとしています。

所長からは、ギリギリになるまで仕事を溜めているから、
月末に慌てることになると、チクッと言われるのですが、
スタッフが一人の事務所では、あれもこれもと出来ることに限界があり、
たまに自分があと2人いてくれればいいのに・・・と
訳のわからないことをぼやいたりします。

とにかく、ギリギリながらも月末が終わってよかった。

さて、暑さに弱い私にとって、最近の気温の低さは大助かりですが、
農作物への影響が心配です。
暑いのは嫌だけど、涼しい夏って夏らしくないですよね。
週間予報では、今週の中頃から晴れて暑くなりそうとあったので、
あと2~3日の辛抱です。

夏の涼しさもですが、この頃の自然災害は予想できない
ことばかりで困ってしまいます。

週末の新潟と福島の豪雨も、忘れたころにやってくる余震も、
なんでこんな時に・・・とココロが痛くなります。

昨日の余震も、休日だしと気を抜いていたら、
夜中に大きな揺れがありました。

TVと携帯TELの緊急地震速報の警報音が鳴ったと思ったら、
地鳴りが聞こえ、小さな揺れから大きな揺れへ。
暗い部屋のなかで地震だと認識していても、目が覚めないし、
頭も覚めないし、急に起きたので気持ち悪いしで、最悪でした。

さらに、いつでも緊張していられるわけではないので、
夜中の地震はかんべんしてほしいなぁ と、勝手なことまで
考えたりしてしまいました。

慌ててパニックにならないのはいいけれど、
こんなんじゃ イザ というとき逃げられないなぁ と反省。

震度4なのに、起こされて最悪・・・なんて、緊張感のないことを
言ってちゃいけないですよね。 さらに反省。

なんだかこの頃、地震に対する緊張感が欠けている気がします。
震度3ぐらいでは、ああ揺れているなぁとしか思わなくなっている
自分にダメ出しです。

駅前で発見

駅前で発見

今朝、出勤時に仙台駅の前を通ったら
七夕飾りが見えました。

今週末には、いよいよ仙台七夕祭りが
始まります。

今年は復興と鎮魂の折り鶴や短冊が
多く飾られるようで、華やかというよりは、
たくさんの思いがつまった七夕祭りに
なりそうです。

私もあまり混まない時間帯に、こっそり行ってみようと思っています。

週末のこと。

2011年7月19日 (火)

週末の東北六魂祭は、たくさんのお客様で大混雑して、
イベントの内容が変更になったり、
暑さで体調を崩した方もいらしたようで、
予想外の混雑にだいぶ混乱したようです。

私も六魂祭へ行ってみようと、前日まで考えていたのですが、
もともと暑さに弱いのに、大勢の人のなかで倒れたりしたら
大迷惑をかけるなぁと思い、行くのをやめてしまいました。

週末、実家へ帰ってきました。

震災から4カ月過ぎた気仙沼は、
部分的には片付いているようですが、
まだまだごちゃごちゃしていて、
いつになったら次のことが考えられるようになるんだろう・・・ と、
なんともスッキリとしない気持ちで街のなかを歩いてきました。

私の実家の地区では、やっと船の撤去が始まって、
もう少しで道路が市内とつながりそうになっていましたが、
地盤沈下をしているので、まだ水がたまっていました。
しかも泥や重油が混じった黒い水です。

最近は、復興の明るいニュースが多くなりましたが、
現実はまだまだ先のみえないことばかりで、
不安や恐怖や絶望感や、いろんなことが渦巻いていたりします。

両親が仮設住宅に移ることができたので、
帰省した際の宿泊場所ができました。
電化製品は赤十字からの寄贈があり、とても大助かりです。
生活用品の配給もあり、ちょっとした備品は入居時に頂いたとのこと。
生活が始まってからも様々な物が届けられていて、
日曜日には扇風機とタオルを頂きました。

生活が始まって、不便な点も出てきたようで、
今回の帰省では、暖簾とタオル掛けの取り付けをしてきました。
壁に穴をあけられないので、突っ張り棒や吸盤式のものなど
少々工夫が必要のようです。

次回の帰省はお盆休みになるでしょうから、
また不具合がでたら、かりだされることになりそうです。(笑)

さて、ここで残念なお知らせを。

岩井設計のマスコット犬のデックが天国へと旅立ちました。
ここ1か月の間に体調を崩し、病院へ通院して、
点滴や注射等、いろいろ手をつくしていただいたのですが、
18歳という年齢と最近の暑さに勝てず、日に日に衰弱し、
とうとう7/15のお昼ころに旅立っていきました。

事務所は留守にすることが多く、
弱っているデックを一匹で置くのは心配だったので、
入院させて経過を見守っていたのですが、
回復しないまま逝ってしまいました。

金曜日の夜、病院から自宅へデックを連れてきて、
土曜日には火葬をして納骨してきました。

お別れはとても悲しかったけど、
ぐったりしているデックをみていることのほうが辛かったので、
楽になれてよかったのかもしれないなぁ と思うようにしました。

所長が事務所に、デックの写真を飾りました。

入院が長くて、まだいなくなった実感がわきませんが、
写真をみるたびに、デックのことを思い出します。

デック 天国でもたくさん食べてお昼寝をしてね。

バイバイ。

通院中のデック

通院中のデック

言葉が出ませんでした。

2011年5月12日 (木)

以前は毎日更新していたブログを
最近はなかなか更新出来ずにいます。

忙しいからという理由ではなく、
何を書いたらいいのかものすごく考えてしまうからです。

前回のブログ更新から1カ月ほどが過ぎました。

その間、仙台では
地下鉄が泉中央まで開通したり、
東北新幹線が全線開通したり、
復興のニュースが流れていましたが、
その裏側では
まだライフラインが完全ではなかったり、
オープン出来ない店舗があったり、
そして震災時にお亡くなりになった方とのお別れがあったり、
震災の影響が深く残っている部分もあります。

そのことを考えると、まだまだ胸が締め付けられるような
苦しい気持ちでいっぱいになります。
もちろん、このままではいけないということも
わかっているのですが、とてもとても複雑な気持ちで
日々を過ごしているのです。

GWに実家のあった場所へ行ってきました。

2カ月が過ぎようとしているのに、
まだほとんどが手つかずでそのままの状態でした。
作業のための砂利敷き道路が出来ていたものの、
まだ街のいたるところに船が転がっていて、
本当にここが陸の上なのかと、とてもショックを受けました。

地盤が下がってしまったらしく、水が引かないため、
流されてしまった我が家の物を探すこともできず、
変わり果てた場所にただただ立っていることしかできませんでした。
両親が助かったのも奇跡のように思えました。

家が流されてなくなって、
いままでの過去のものも全て無くなってしまって、
自分の体のなかが空っぽになったような
言葉でうまくあらわせませんがそんな感じでした。

震災直後は、しっかりしなきゃと自分に言い聞かせていましたが、
現地で実際に風景をみると、いったいどうしたらいいのか、
なにが出来るのかわからなくなってしまいました。

それでも復興しようと、前に進もうとしている人がたくさんいて、
実際にその場にいなかった自分が、
落ち込んでいてはいけないなぁと反省。
でも、受けた衝撃があまりにも大きかったので、
元気になるまでにはもう少し時間がかかりそうなのですが・・・。

2カ月が過ぎた今もココロが晴れずにいますが、
今出来ることをやっていくしかないんでしょうね。

気仙沼の写真を一部載せました。
次回帰省するときには、もう少し水がひいているといいのですが・・・

船で通行止め

船で通行止め

船をくぐって鹿折地区へ

船をくぐって鹿折地区へ

実家があった場所

実家があった場所

大きな余震でした。

2011年4月8日 (金)

大地震からもうすぐ1カ月というこの時期に
また大きな地震がありました。

今回は夜の地震だったので、少しの間とは言え、
停電をしてしまったときには、かなりの恐怖を感じました。

私はまだ柏木の叔母の家にいて、
独りじゃなかったのでよかったのですが、
これが 自宅で独りで、しかも寝ていたらと思うと
こんなに冷静にいられなかったと思います。

事務所もまた、いろいろなものが散乱してしまい、
先日程ではありませんでしたが、棚からファイルやカタログ、
私のPCのモニター等が落ちていました。
家具の位置も若干ずれていて、重いコピー機も動いていたので、
かなり揺れたようです。

このぐちゃぐちゃの状態をみると、
片付けをする気持ちになれず、少し動いては休み、
また少し動いては休みの繰り返しで、さっぱり片付きません。

仙台のまちのなかも、
ようやく復旧しはじめたところだったのに、
また少し後退してしまったような気がします。

そして、被害が大きかった地域のことも心配です。

先が見えないことが多いと、気持ちが沈んでしまいます。
せめて余震がおさまってくれるといいのですが・・・。

近況のご報告です。

2011年3月25日 (金)

1週間ぶりのブログです。
この1週間の間に、社内はだいぶ落ち着きが出てきました。

岩井設計の事務所内はだいぶ片付き、
お客様がいらしても大丈夫になりました。

今回の大地震では、落下により破損したものも多く、
ガラスのサンプルや陶器製の置物がかなり壊れてしまいました。

花瓶も割れてしまったために、床が水びたしになっていたりで、
いろんなものがごちゃごちゃと混じってしまい、
仕分け・片付けに時間がかかりました。

さらに天井まである棚からの、ファイルやカタログ等の
落下物がすごくて、身動きがとれなくなっていたので、
まずは社内の通路の確保をしながらの片付けになりました。

2週間がたった今も余震が続いていて、たまに大きな揺れが
あるので、大きくて重いものはまだ床に置いてありますが、
コピー機や机等の重い家具の移動も終わり
現在はなんとなく元に戻ったかなぁ という感じです。

市内では開店する店舗が増えてきていて、
地震の直後ほどの切迫感はなくなっているようにみえます。

でも、買い物が出来るのが日中の限られている時間のため、
私のように出勤している人や、並ぶ体力のないお年寄りの方
などは、ちょっと買い物が難しいようです。

相変わらずガソリンが手に入らないので、
建物のことでご相談を受けても、現地へ向かえない状況です。
被災地への支給を優先したい気持ちがあるだけに、
今は待つしかないんだろうなぁ と思っています。

それから、私事になりますがこの場を借りてご報告します。

私の実家のある気仙沼の被害が大きく、
特に鹿折地区は火災もあり、
両親・妹夫婦・姪っこの安否がわからず、
連絡もなかなかとれなくて心配な日々を送っていたのですが、
皆の無事が確認できました。
残念ながら家屋は津波で流されてしまったとのことでしたが、
無事でいてくれただけで嬉しいです。

その反面、まだまだ安否がわからない方も多く、
知り合いの悲しい知らせが入ったり、
ライフラインの復旧も進んでいないという状況で、
悲しいことや心配事はまだまだ尽きませんが、
ガソリンも手に入らないこともあり、
移動手段が確保出来ないので、
もうしばらくは我慢なんだろうなぁ  と思っています。

仙台の少しづつ復旧の兆しを感じながら、
遠くのみなさんの安否を祈りながら、
今は自分に出来ることをするだけです。

気仙沼の妹もがんばっているようです。
わたしも負けられませんね。