2011年1月

足元を掬われる

2011年1月31日 (月)

本日は愈々片倉さんのご葬儀だ。
”心筋梗塞なの?なんて運の悪い人だったのだろう。”
というとんでもない言葉を耳にした。
私の方こそ亡き人に対して何たる事をと驚いた。

あんなに人が大好きだった人なのに、何で調子が良くない
なら皆のいる所で休まなかったのか、心筋梗塞なら時間の
問題で、或いはどうにかなったかも。
こんな話を聞き、納棺されたばかりの助社長のあの生温か
さ、私には不思議でしかたなかった。が、合点がいった。
そうか、助社長、本当に残念だったね、悔しいね。

でもあのお顔は残った者達へ、大丈夫だ、ちゃんと俺が見て
いてあげるから、と大きな心で訴えているようだった。
安らかにお眠りあれ。

ところが、皆な何やかやと心して仕事に、お付き合い等々誠意
を尽くし、目一杯の行動、活動をしているのに、我が店の若き
スタッフ。
男30歳は今後の生き方、一生を方向づける大切な年代。
ましてや子供をもってしまっているなら、猶の事。
横並びでしか世の中を見、体験してこなかったそれまでの生き
方しかして来なかった今時若者たち。
口から出まかせで、適当にその場逃れをするだけ。

今からでも間に合う、真剣に生きるという事、男としての責任を
とる意味での家庭を維持する為には、人並みの社会人たるに
はの意識を持って大人の男になれば、との話し合いの下、茶
髪で今時だらしない姿の面接時の青年だったが、元気と溌剌
さに何かを感じ、掛けてみようとした当方の地下の店’ば~る・
だ~ちゃ’の店長。

が、染みついた垢というか、オーナーの意向とは相容れない世
界感、参った、参った。
いろいろ様々あって、どうしようもない己の間抜けさにウンザリ。
またしても足元を掬われた思いを今経験中。
私の掛けは今回も無残にも敗退。何たることじゃ。

劇団の稽古場から貸しホール、飲食と転戦して来、今日に至っ
ている。
カラーのある飲食店として、この河原町は車の通過場所、地下
鉄河原町駅徒歩5分という、良くも悪くもの感のある難しい立地
条件の地。
市街地の住宅地であり、近隣に迷惑の掛らない、住民に快く受
け入れられる、そしてかつ特色ある店つくりとして、ライブも出来
るステージ付きスーパーサイバーダムカラオケが楽しめる、30
人前後収容出来る、宴会向き、フード&ライブバーである。

ご予約メインの営業なので、宴会、ライブ予約のない日々は1人
で十分賄え、夜6,00時から^11,00時~12、00時メドの余
りガツガツした営業をしない店として展開したいのです。

オールディーズバンドやアコースティックライブとかピアノ弾き語
り、シャンソンやフォークさまざまです。
演奏者を募りながらも、カラオケや据え付けのドラムやギター、
ピアノ等自由にさわらせ、音楽をフルに楽しんで頂く宴会が出
来る格好のお店です。
気ままにお一人でブラッとおいで頂いても構いません、2000
円以上の低額で。

当店を宣伝すると共に、そんなお店を切り盛りして頂ける’雇わ
れ店長’を探しています。
年齢、男女性別不問、ただし店の運営に関する一切の報告、
連絡、相談やオーナーの意向を誠意をもって聞ける方。

勤務時間が時間ですので、誰彼とはいきませんが、軽食並び
にお酒オーダーに対処でき、ライブや音楽に関心のある方。原
則お一人で切り盛りし、食事が伴う宴会やライブ時はバイトさん
投入にての対応とする。

人に喜ばれる店つくりがモットーです。
どなたかこのページを目にした方、ご紹介下さい。
気分的には女性が良いのですが、そうも言ってられないでしょう
し。イッソのこと店止めようかと何度も思うのですが、何せ、仕事
場の地下。
楽しみに来られる方がおられるのなら何とか続けたいし、でもど
ういう訳か雇用問題で行ったり来たり。

本日片倉さんの葬儀があった。
片倉さん主宰の偶三金(偶数月の第3金曜日)楽しかったなー。
今は本当に良い思い出。
口火の片倉社長の’ビールを飲もう、、、、スゴい男のうた’が今
にも聞こえて来ます。
社長淋しいよー、もう聞かれないの?
仕事以外にも本当に楽しく親しくして頂いた社長。
貴方の為にも、まだまだ客がこんなにも勝手好き放題に楽しめ
るお店あったって良いよね。

お客に、スタッフに恵まれて人様に喜んで頂けたらとただただ思
うところです。
どなたかいい方おりましたらお教え下さい。

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本当?

2011年1月28日 (金)

こんな事ってあるの?
昨日は北、中法人会の新春講演会と賀詞交歓会。
受付したとたん事務所スタッフからの電話。

片倉の社長さんが亡くなったそうです、何~!
事務所協会の佐藤充弘さんという方も亡くなったそうです。

何をいっているの?我が耳を疑わざるをえない。
あっちこっちに確認の電話し、事実である事をが解った。
雪が酷くなってきた、が、兎にも角にも先ずは新年会は即
退場、中新田の片倉社長宅へ事務所スタッフを呼び戻し、
車を走らせた。

丁度1年前、尊敬する吉田イサム先生の訃報で、スケジュ
ールが混乱しないようにと、専用のカレンダーをリビングの
隅っこに貼ったきり、それが1月のままになっておった。
そして今年1月15日、とうとう我が精神の母であった長池
博子先生が亡くなられ、騒然としたあっという間のお別れが
なされ、一息ついた矢先であった。

昨日現場で片倉さんの現場担当の大久保さんに、あれこれ
依頼指示等の電話会話していたのに、そんな気配何一つ
なかったのに。

充弘さんは昨年暮れ御病気再発で入院をされておったそうな。
知らなかったとは言え、昨年仲間とグァム旅行時の帰国便で
偶然にお会いし、子供の結婚式だったとの事、お幸せなでご
夫妻のお姿を拝見出来ましたのに。1年前の吉田先生と同じ
御病気だったとの事。

長池先生との別れで目一杯でしたのに、昨日、建築関係の
大事な仲間が同時に亡くなるなんて、こんな事ってある?

淋しい、悲しい、耐えられない、もうあの2人には会えない。
まだまだ若いのに、これから少しは自分なりの人生を楽しめ
ただろうに。
お子さんや奥様たち本当に可哀そう、大丈夫だろうか。
一寸余りにもショックな1日でした。

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明けましておめでとうございます。

2011年1月14日 (金)
たくさんのお年賀、今年も頂きました。

どなたのコメントも今ご時世の不安となげかわしさを
謳っている、同感同感。

奇しくも本日、菅政権の組閣替えとか。
地位や肩書にしがみつく態は本当にみっともない。
鳩山さんのように簡単にハイさよならも困りものだが
身の処し方は本当に難しいもの。

昨年はゾンタの会長職から解放され、かなり自由が
戻ったやに思えたのだが、まだ残っているお役や、
新規のお役目を受け、またまた事務所に迷惑を掛け
るハメになった。
何をやっても無器用な性分なので、目一杯職務を
一生懸命やってしまう。
事務所スタッフの迷惑顧みず。
が、お陰で有難い1年を過す事が出来ました。
今年はどうなる事でしょう。

近近に迫ってくる後期高齢者年代、怖くもあり、
それなりと開き直りもする、捉えようない今日この頃です。
私でなければ出来ない世界をシッカと持ってさえいれば
何の事はないと思いつつ、これよがしに、ただ単に一つ三
つ若いだけでの事をされると辛いものを感じます。
が、世代交代を快く、見事にこなすのも仕事の一つ。
幾ら時間があっても足りない位のやりたい事沢山の
昨今ですが、得意とする機能的な飽きの来ない、
ならではの貴方特有の家作りは、これまでと同様に、
精魂こめてやって行きたいと思います、と同時に、
自分磨きと己つくりには、コツコツ取り組んで行こうとしてます。
少なくとも、もう少しパソコンに詳しければ更に面白い生き方が
出来そうなのですが、一寸残念。

お店も愈々自分のお楽しみ場所にすべく、たくさんの友人
知人がたむろするような場にしたいと思ってます。

頼まれればのお役は喜んでお引き受けしつつも、
すべからく楽しんで、かつ、喜ばれながらのこなしかたでやって
行けたらと思います。

新たな今年、どんな年になるか解りませんが、出来ることを
誠実に、目一杯、無理する事なく、粛々とやって行く、
そんな1年を過したく願ってます。

どうぞ本年もよろしくお引き立ての程お願い致します。

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