ゾンタハウスにご協力下さい

2011年9月14日 (水) .

3・11東日本大震災から早半年。
様々な形でそれぞれが支援、ボランティアをされ、被災地を応援
しておられる事、耳にする度、本当に頭が下がります。
被災地の人間として心から御礼申し上げます。

タイトルに挙げました、ゾンタハウス。
国際ゾンタという世界の女性の地位向上と女性、子供支援の奉
仕活動をしている団体ですが、この度の震災支援として、世界
のクラブ一体となって岩手県山田町に、放課後子供学習の場を
、かつ同時に軽食提供としての女性の就業支援も兼ねた2年と
いう期限付支援ハウスをこの度開設致しました。

世界の皆さんから頂いた義捐金を元手に、会員持ち寄りの備品
等現地のボランティアも頂き、被災地子供支援の活動です。
が、まだまだ物資が不足しています。
東リさんから提供頂いた塩ビシート、1Fの土間に敷かせて頂き
、とても重宝したと現地では喜び感謝しておりました。

そんな事もあり、現地で切望しておる下記の物資を調達ご支援
頂けないものかと自分のブログに掲載させて頂きました。
どなたかの目に留まる事を期待して。

山田町ゾンタハウス 提供依頼品リスト(細かいもの以外)     
   

設備 風呂用ボイラー 1    ” コロナUKB-NX460P(MD)
                  カタログ単価252,000円+
                  油タンク・循環ホース・
                  取り付け工事 (合計約35万円)”
 カーテン 一式       正面間口 幅5m46cm×高さ2m50㎝
               2枚に分割して、1階と2階それぞれに。
                1枚 幅1m30cm×高さ1m を1枚
 エアコン 4         2階に2台、1階に2台 
              クーラーと、暖房補助用。工事費も必要。
 ガス台 1            既にあるものが非常に古く危険。
 電気契約アンペア工事    現状では掃除機を2台使っただけ
                 でブレーカーが落ちる。費用確認中。
日用品              扇風機 7 来年の夏までに
                  炊飯器 2 1升炊き 
           ポット 2 1台は保温専用・魔法瓶タイプでも可
 コルクボード 4         大きめのもの、掲示用
学習用備品           電気スタンド 10 
 CDプレイヤー 2        英語学習用、ヘッドホンも必要。

何卒このゾンタクラブの震災支援活動にご協力下さい。
メールなり電話等ご支援のご連絡お待ちしております。

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4か月経ちました。

2011年7月13日 (水) .

随分被災地を巡る機会があった。1か月、2カ月、3か月そして4
か月。あの被災された方々は今どんな心境で過されているの
か。現場は日に日に片付けられて行くが、整理されているだけ
で、何の復旧復興にもなっていない事を痛切に感じるだけ。
この暑いさ中、どんな過し方をしているのでしょう。
15%節電をもじってイチゴ作戦プロジェクトなるものに取り組ん
でいるが、事務所でも車でも暑いと言っては冷房調節している。

家族が、お家が、仕事が、財産がと全て無くして仕舞った方達
の身になって物事を捉えるなんて、所詮出来っこない。
何時まで経ってもどこか気が引ける思いを拭い去る事が出来な
い。重苦しいやるせない日々の毎日です。

東京武蔵境南に姉家族が住んでいる。
資生堂ベテランエステッシャンだった長女とネイルアート熟練者
の3女の姉妹が吉祥寺駅近辺何とか通りで’きれいや’という
こじんまりしたエステのお店をやっている。

おとなりは腕の良い美容室、お向かいはスポーツマッサージと
いうトライアングルの全身リラックス、美しくなれるホットスポット。
1日東京滞在を伸ばして久々に、じっくりのんびりゆったりタイム
を過した。

身に余る立場のお仕事をせねばならなくなり、一寸晴々しい中
にも、小気味良い緊張と何とも言えない重圧感を感じながらも、
亡き母、兄貴そして父を初めとするご先祖様方に見守られてい
る感じがしてならない。幸せ者です。

が、18年も共に暮らした愛犬デックが危篤状態を続けている。
嬉々交々とはこんな事でしょうか。
当ビル地下のライブの出来る飲食店’ば~る・だ~ちゃ’
専門外なので中々経営が落ち着かない、特に人材。
従業員スタッフの気が知れないのだ、どうして?の連続。
地域住民の憩いの場になって欲しいの一念で頑張って
いるのだが、想いが空回りするばかりだ。
好きでやっているのだから仕方ないと言えば仕方ない。
本業の建築とて同じかも。

この道建築設計の仕事も独立してそろそろ35年、良く
まあ続いているものです。有難い事です。恵まれていると
しか言いようがない。
母さんいつもありがとう、そう呟いている毎日です。

こんな世の中になって、誰が幸せなんだろうと思う。
姪の赤子達3人いるが、君達の将来どんな世の中にな
っているのやら、私達もっと真剣に世の子供たちのため、
真面目に考え、しっかり、安心出来るキチッとした世の中
を造っておかなければいけない。

何か取り留めのない思いがぐるぐる廻って仕方ない、忙
しすぎるのだろうか、落ち着いて、落ち着いて、何かに急
かされているのかな。
人生元気に、かつ必要とされる人間であらねばね。
また、頑張ろう。無理せずに。

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被災者の声なき声、どう聞いたら良いの?

2011年4月18日 (月) .

南三陸町名足保育園に建築相談会担当員として4月16日
(土)伺う機会を得た。

県から町の担当官がご一緒され、本日の相談会は被災され
た方で、補修なり再建される意志のある方への支援制度等
の相談に来たとの趣旨が説明され、相談会が開催された。

この保育園は南三陸町歌津町の被災者避難所にもなって
おり、当時は300名ほどおられたが現時点では80名ほど
とか。あれから1カ月と5日も経っている現実を目の当たりに
し、何と言って良いかやるせない思いで一杯、どう表現したら
良いのか解らない。

担当官の説明があったに拘わらず、何かの説明に来たという
事で、長い時間自分の番まで待っておられた方々。

自分の番になって’何の相談ですかと聞かれても、家(ウジ)が
ない、金(カネ)もない、罹災証明書もさっぱり来(コ)ない、仮設
住宅に住め(ン)るのか、俺だちどうするべや、それしか言いよう
がネーべ’と口々に語られていた。

この小さな名もない避難所には情報というものがちっともない。
兎に角、情報が欲しい、と切実な叫びをしていました。

東北道終点登米東和を降り、南三陸町に入った。あの松尾会
館、志津川病院、どこもかしこもあの風景は何の面影もない無
残そのもの。
帰り歌津、志津川、北上、桃生を経て夕闇の石巻市に通った。

今回、仙台市荒浜から塩釜市一帯、福島県との県境山元町か
ら名取市閖上、そして岩手県宮古市から宮城県気仙沼市と奇し
くも被災地沿岸一帯を概略見て回る事が出来た。

友人、知人、閖上のお客さま、我が家の懐刀であった宮古の
小原さん、我が生まれ故郷釜石、気仙沼の親戚、事務所スタッ
フの家、皆みんな居なくなっちゃった、流されてしまった。
私自身今後どうすれば良いのか解らない中、もっともっとスゴ
イ人々がいる、今後どうすれば良いのか解らない人々が沢山
沢山いる。

今、今が問題だ。
国よ、行政よ、あなた達だけが頼りです。
どうしてくれる、どうにかして下さい、どうすれば良いの。
遣り切れない思いだけで一杯になる。

身の回りも大変です。住める状態でないお宅、内壁、外
壁、屋根、基礎、クロス、浴室、便所、ありとあらゆる所
やられている、見て下さい、何とかして下さい、の声声声。
焦るばかりで手につかない。

報道なんて、この実態何にも伝わっていない。
全国民から暖かい励ましやお言葉、義援物資様々な支援
を頂き、兎に角、有難いの思いで一杯である、が、問題解
決には程遠く、生身の生きて行かねばならない今今の心に
は、手応えというか実感が伴わない。
余りにも自分ではどうしようもない途轍もない出来事なので。

本当にどうなってしまうのでしょうネ。

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